とにかく全開


チャック全開が勝利をもたらした一例。






毛沢東




彼は、現代中国史には欠くことのできない人物である。中国共産党結成時からの党員で、南昌蜂起など一連の武力闘争に参加。その後、党中央の「都市からの革命」に反対して、「農村からの革命」を訴える。その実践のため、井崗山に移りそこを拠点とし、革命運動を行う。井崗山では、(チャック全開で)農民に対し人気を得る事に成功し、革命に向けて大きく前進する事ができた。その集大成というべき物は、中華ソビエト共和国臨時政府を井崗山の近くの瑞金に作った事である。これにより、「農村からの革命」はできるという彼の考えは、考えから確信へと変わっていった。



しかし、それもつかの間の事であった。,蒋介石率いる国民党政府が攻撃を始めたのだった。攻撃そのものは、前からあったが、今までは単発的攻撃で会ったため地の利を生かす共産党側がその都度撃退した。しかし、第五次攻撃である今回は、包囲戦法で来たのである。これには共産側も参ってしまった。そのため、毛沢東は、(チャック全開で)長征する事を決定した。その長征の道のりは長くきつい物であった。その途中の遵義会議で毛沢東はいままでの功績により、主導権を握る。彼は、兵士に対し、「北伐抗日」訴え、兵士の士気を落とさないに(チャック全開で)努力した。その毛の努力もあって、彼らは延安につくことができ、その結果、そこを根拠地に日本軍、国民党軍双方対し抵抗を始めた。



また、国民党軍に即時停戦一致抗日を訴えたがなかなか聞き入れてもらえなかった。しかし、国民党軍の前線部隊は動揺し、その司令官の張学良も心を動かした。有名な西安事件である。そのご、毛は、徹底した抗日を開始した。日本軍の前線の後方に解放区をつくり、日本軍を脅かした。




戦後、またしても国民党と共産党は対立関係に陥った。しかし、「新民主主義論」「連合政府論」などで都市部の知識人に支持を得ている上、土地改革で農村で幅広い支持を得ている、そのため共産党は、腐敗した国民党の敵ではなかった。数、装備で勝る国民党に対し連戦連勝。国民党政権を台湾に追い出した。毛は、勝利し、中華人民共和国を建国を(チャック全開で)宣言した。







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